体験談・感想
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“製薬会社で薬の研究をしていた私が、薬を使わずうつを治しました!”
小さい頃の私は、何故か自殺したいと思ったことが何度もありました。すごく嫌なことがあった時、飛び降りてしまいたいような衝動に駆られたのを覚えています。私にとって、父は怖い存在でした。幼少の頃は単身赴任でずっと家にはいませんでしたが、中学の頃になると家にいて、母とよくけんかをしていました。
理系の大学に進んだ私は、卒業後、東京にある製薬会社の薬品に関する研究職に就きました。
10年ぐらい前、仕事がうまくいかずうつ状態になった時のことです。
病院に行けば症状が軽くなると思った私は、心療内科に通院しはじめました。その頃は服薬していたのですが、薬で脳が冴えて、今までやっていなかったことをやり始めていました。その一環で上司に異動を願い出て、関西という新たな土地に異動することになったのです。関西の職場では、愚痴ばかり言う社員が近くにいて、話を聞いていると気分が悪くなってきました。さらには、誰でもできるような仕事を任され、会社の寮に帰っても毎日叫びたいような気持ちになっていきました。
そして、3ヵ月間休職することになったのです。
それからの私は、長い時間うつに苦しめられることになりました。転職して東京に戻ったものの、また何ヶ月かの休職や、通院を繰り返したのです。
医者は「薬を飲み続けなくてはいけない」と言うのですが、本当のところは嫌でした。私はもともと研究職でしたから、出された薬が体に良くない成分でできていることが分かっていたからです。薬を飲み続けているうちに、どんどん太っていましたし、効果がないのも分かりました。日本にない薬を個人で輸入したこともありますが、やはり根本的な解決には至りませんでした。
病院以外にもカウンセリングを3年くらい受けていて、しばらくは安定していました。しかし今年の年初に、今までにないほど、引きこもって自殺したい気持ちが湧き上がってきたのです。今までいろいろな方法を試してきた私は、内心「今回こそは何をやっても駄目だろう」と、ほとんど諦めていました。しかし、そこで私は『うつ病は90日で90%が治る』という電子書籍を見つけたのです。
【父母からの愛で、真我に目覚めた!】
最初にYSこころのクリニックを訪れた私は、さっそく佐藤康行(YS)メソッドの治療コースの説明を受けました。
その説明はあまりピンときませんでしたし、数日後に初めて受けたカウンセリングと、同じ日に行った3時間のカリキュラムでも、正直に言えばよく分かりませんでした。しかし、その次のステップで次元のカリキュラムに参加した時、私は真我に目覚めたのです。
私は一生懸命、自分のワークを続けていました。
その私のすぐそばで、私が真我を自覚するよりも早く、親子で参加されている方が真我を体感していました。その親子は、抱き合って泣いておられたのです。
その声やエネルギーに影響されたのか、私の胸の奥深くから、ものすごい愛が一気にワーッと吹き出てきました。
それはまさしく、父母からの愛でした。その愛を全身で体感し、涙をボロボロ流して泣き崩れました。それで、心が全く変わってしまい、1日でうつが治ったと確信できました。
受診後、すぐいろいろな人に連絡したり、会社でちゃんと笑顔で挨拶するなど、自分でやろうと決めて動き出したところ、全てのことがうまく回り出しました。
私はそれから間をおかず、時間のカリキュラムに参加しました。この時のワークで父との思い出を深く掘り起こしたことで、心の底からの涙を流し、これまでのネガティブな記憶をすべてプラスに変えることができました。
このワークに参加して、私は本当に「ああ、もうこれで大丈夫だ」と、うつ完治のだめ押しをすることができました。
【本当の自分を取り戻せた】
私は父のことを、愚痴をグチグチ言っていて、体が弱い弱虫だと思っていました。しかし今は、本当は父は優しくて、私にそう見えていただけなのだと分かります。
心配なのは、母のことです。母は3~4年前、知り合いの奨めでこれまでお世話になった病院に通うのをやめ、違う病院へ行き始めました。その病院で薬を過大投与されて、痴呆老人にさせられてしまった感じです。
母は父との関係がもう少し修復されれば、元気になると思うのです。そのために、私はこれから実家に戻る決意をしました。
今までの私は、うつ病の治療法を外に求めたり、他人に頼ったりしすぎでした。これからは家族ときちんと向き合って、働きかけていこうと決めたのです。
私は佐藤康行(YS)メソッドに出会えて、とてもツイていると思います。そして、これからももっといろいろなことができると思います。なにせ、本当の自分を取り戻すことができたのです。
もし出会ってなかったら、自ら命を絶つという最悪の選択をして、両親を始め、多くの人たちに迷惑をかけていたかも知れません。そう思うと、本当に感謝でいっぱいです。
20年間苦しんだ統合失調症が、YSメソッドで4ヵ月で寛解!
【薬の処方後に症状が悪化】
大学卒業後、東京で公務員として働いていましたが、20年ほど前に原因不明の変調をきたし、統合失調症の診断を受けました。
追跡迫害妄想や幻聴、原因不明の重苦しい感覚や不安・焦燥感があり、薬を飲みながら精神科に通院していました。 1日あたり17種類の薬を処方され、はっきり申し上げて薬の処方前よりも症状は悪化しました。当時、母は「この子は薬で殺される」と思ったそうです。
私は本能的に「薬は治療にならない、自分の生命力や能力を制限しているだけだ」と直感していましたので、医師にかけ合って薬を減らす努力をしました。今思えば、これはとても正しい判断でした。
医師から紹介された本には、統合失調症は治癒するという概念がなく、寛解するのは60才以降と書かれていて、「馬鹿にしている」と思いました。しかし、当時は精神医療のシステムに乗っかるしかありません。
この20年で、病院もいろいろまわりました。断薬のために栄養療法のクリニック3ヵ所にかかった時期もありました。なんとかこの状況から脱出しようと、親子で占い師や霊能者、陰陽師などにも頼って、もがきにもがきました。
それだけで合計300万円以上費やしました。
薬は毒だということが分かり自己流で断薬したのですが、異常行動を取ったため2回ほど医療保護入院になりました。
行き詰まりを感じていた時、YSこころのクリニックのホームページにたどりついた私は、さっそく佐藤康行先生の著書を読みました。
【自分をいじめることをやめた】
本の中に「完璧愛ポスト」というワークがあり、テーマを「統合失調症」に設定して実際に行ってみました。
不思議なことに、書いているうちに涙が出てきて「なんでだろう?」と思ったのを覚えています。
今思えば、これは佐藤先生の本を手にした時点で、自分の中にある本当の自分が表に現れてきて、問題解決に向けて全てが動いたためでした。
YSメソッドを受け、私は心の中で自分をいじめることをやめました。そして、他の人を恨んだり憎んだりするのも自分をいじめていることだと気づきました。
先の見えない20年を苦しんできましたが、治療を始めて4ヵ月くらいで寛解の診断を受け、以前は15mg服用していたジプレキサという薬の服薬量は2mgにまで減りました。
今後は断薬の予定で、診察と復習プログラムを受けながら、完全回復と再発予防を同時に進めてゆきます。
それから本格的に求職活動をして、将来は農業に携わるのが希望です。
これまでの20年間で障害者、特に精神障害者として苦労している人々の気持ちが分かりました。健康のためには、心、考え方、食べ物が欠かせないので、農業と障害者福祉をからめた仕事ができればと思っています。
YSメソッドに出会えて本当に良かったです。ありがとうございます。
うつで休職するもYSメソッドで結婚願望が!その心で婚活し妻子に恵まれた!
40才の時、私はうつになりました。突然身体が全く動かなくなり、めまいや胸の痛み、身体の寒気がひどくて夏の暑い日でも布団の中でぶるぶる震えていました。わけもなく死にたいと思うようになりました。
うつになった原因ははっきりとはわかりませんが、電機メーカに務める当時の私の状況は、製品の不具合対応とパワハラ上司からの説教の憂さ晴らしでスナック通いの毎日でした。
最初はうつとは思わなかったので、いろんな病院で検査をしましたが全て異常なし、結局心療内科で抗うつ剤を処方されましたが、ドクターの対応に不信感を持った私は一切飲みませんでした。
会社は休職しましたが自分で何とか健康になりたいとの思いから、ヨガや整体、食事療法、座禅などさまざまな方法をネットで模索しては試しつつ、発症から5ヵ月後、このYSメソッドに出会いました。
初めての2日間集中カリキュラムでは、私は人の欠点を探しては批判ばかりするような人間だと気付き、こんなイヤな自分を変えたいと思いました。
現象面を変えるには行動が大切、でもできることなんてあるのか? それで思いついたのが街のゴミ拾いでした。初めての行動でした。
次の2日間では、鳥取に住む母との関係について心を探りました。母はいつも口うるさく、時にはヒステリーを起こしてうっとうしい存在でしかありませんでした。しかし、母は私を命がけで産んでくれたんだと思った瞬間、何かが心の底から湧き上がってくるのを感じました。「本当の自分」が垣間見えた瞬間でした。
そして、生まれて初めて母に誕生日プレゼントの花を贈りました。母は喜んでくれました。
その後、佐藤康行先生が直接指導するカリキュラムに参加する機会がありました。
それまで結婚したいと思ったことは一度もありませんでしたが、ワークが終わる頃には、結婚したいという思いが生まれて初めて湧いてきました。そして「1年以内に相手を見つけるんだ」と決意しました。
7ヵ月の休職から職場復帰しましたが、依然うつの波が時折やってくる中で私の婚活は始まりました。
でもこのYSメソッドで「本当の自分」を追求していくことこそが私の婚活なんだという思いもあり、カリキュラムへの参加を続けました。
人と話すのが苦手だったので、訓練だと思って男女や年齢に関係なく他の参加者に声をかけたり、似顔絵入りの名刺を作って配ったりしました。
いつの頃からか自ら積極的に人に会いに行くようになっていました。
その結果、決意からちょうど1年後、妻となる女性と出会い、半年後、彼女を実家に連れていった時にプロポーズをしました。
そしてその翌日、両親を前に「原点の心」を読みました。今までにないほどの涙が溢れてきました。
結婚して1年後にはようやくうつ症状がなくなり、身体もだいぶ元気になりました。
昨年の4月には待望の子供も誕生、仕事にもやりがいや喜びを見いだせるようになり、今でも幸せです。
うつになって本当によかったです。
“10数年来のうつから一変!やっと求めていた本物に出会えた”
私の父親は高校の教師でした。小さな町でしたので、近所からは「教師の息子」と呼ばれ、幼少期は懸命に優等生を演じていました。
その影響か、ハメを外したいと思っても、いつも自制が加わり、他人からの評価を過度に気にするようになっていました。
社会人になり、大企業へ入社したのですが、あることをきっかけに転職をすることになりました。
転職先は50人程の零細企業でした。大企業とのギャップに悩むことが多く、さらに役員はワンマンばかりでした。
入社して9年目、36歳の時のことです。我慢に我慢を重ねた結果、突然体が動かなくなりました。
家庭の事情なども重なっていたのですが、まさか、この自分がうつになるなんて自身でも信じられませんでした。
生きる目的を知りたくて、その回答が分からず悩みました。
自信がなく、生きる望みがありませんでした。
当時子どもは小学生で、極力病気のことが分からないように接していましたが、妻には苦労をかけてしまいました。
心療内科へ通い、あらゆる抗うつ剤、睡眠促進剤、精神安定剤を服用しました。それでも根治できず、逆に副作用で苦しむことも多くありました。
うつ関連の書籍は片っ端から読破し、最後には敢えて新任の先生を担当医に選び、自分自らが薬の処方をするほど、うつに関して専門家になっていました。カウンセリング、ヒーリング、森田療法、性格分析、断食療法、座禅、瞑想、気功、マインドコントロール、新興宗教に至るまで、様々なことを試しましたが、一時的には良くなる気はするのですが、結局効果はありませんでした。
あげくの果てに、ある臨床心理士の先生から「あなたは年を経る毎に生き辛くなる性格」という宣告を受けるありさまでした。「人生をあきらめなさい」と言われているのと同じです。
すべて自業自得、自分の狭い心が原因であったのですが、当時、すべて他人が悪い、世間が悪い、性格が悪い、性格を育てた親が悪いと、最も尊敬する父と、ありったけの愛を注いでくれた母を恨んでしまいました。まったく恐ろしい心でした。
時折襲う自殺願望と戦いながら、やっぱり何とか治したいと思い、七泊八日の内観に行きました。
そこでは過去の自分と向き合い、己の親不孝を知り、全てを悟った気になりました。忘れかけていたやる気もみなぎり、仕事もバリバリ出来るようになり、うつも完治したと自分も周囲も安堵しました。
一年後、二回目の内観に行き、歯止めをしたつもりでした。
その後、多少の辛さは大丈夫でしたが、やがて限界を超えると、今まで以上に深い苦しみの泥沼に引きずり込まれました。「やっぱりダメだ」と絶望を覚えました。 それでも内観に救いを求め、さらに重ねて二回内観を試みました。合計四回の内観でしたが、改善するどころか、(意味のあることでしたが)生きる目的は何か、死んだらどうなるか等、益々悩みが深くなりました。
インドの聖人ラマナ・マハルシの本を読んでいて「真我」という言葉が気になり、ネットで検索したところ、佐藤康行(YS)メソッドの存在を知りました。
「これが最後だ。これでだめなら出家して悟りを開くしかない。それ以外自分の生きる道はない」と堅く決意し、即座に申し込みました。
「真我開発」という言葉には、魅力を感じたものの、わずか二日の短時間で心の変化があるのかどうか、実際のところ半信半疑でした。
しかし、講座が始まって二、三時間で、その不安は吹き飛びました。「凄い」の一言でした。
外に求めていた黄金が、実はこの自分の中にあったのでした。生まれてはじめて大量の涙を流しました。
喜び一杯で岐路に着く新幹線で「ようやく求めていた本物に出会えた」とさらに体中からモリモリと、さらなる喜びが湧き上がる感触は忘れられません。瞬時の感動を味わうことは、内観などでも可能かも知れませんが、やがて冷え切ってしまうのです。
2日間集中カリキュラムでは、あの感覚が受けた後もよみがえるのと、波はあるものの大局をみると確実に心が向上することです。
「如何なる逆境にさいなまれても、報恩感謝の気持ちでいられること」を目的とした内観は、俗世間を離れた世捨てをしない限り、現代社会では維持が困難です。それは、内観やその他の方法では心の浅いところに留まるのに対して、本講座のベースが宇宙の真理そのものであるからと言えます。
受講後の変化は数限りなくあります。一番嬉しいのは、常に緊張状態から一変して他人が気にならない自分中心になりました。これは自我の自己中心とは違う、真我中心(宇宙と一つ)のとても落ち着いた平穏な心になったのです。
過去にはなかった感謝の気持ちが自然にわき出ます。見向きもしなかった家の掃除、洗濯、料理の手伝いも喜んでできるのは、自分でも驚きです。
家族の変化は明確に分かります。鏡の法則とはよく言ったもので、特に子どものはしゃぎ様には、こちらは笑いが止まりません。家内も私の顔つきが若返ったと、喜び、直ぐに受講の申し込みをしました。各々の部屋で寝ていた家族が、いつの間にか一つの部屋で寄り添って寝るようになりました。
また、疎遠になりかけていた人が遊びに来たり、周りにも見えない多くの良い影響があります。
また景色が変って見えます。目に映る自然の美しさが眩しくて感動を覚えます。子供の頃の心です。
さらに最近では、起こる問題を悩むより、何かのメッセージであるので、まず良かったと思い、後でその理由を探す楽しみとして受け止めるようになりました。いずれ無意識にこれができる様になれば敵がいなくなるどころか、ありとあるゆる人・物・出来事が私の応援者であり、味方となって日に日により幸せになることは間違いありません。
天命もはっきりとしてきました。これからがとても楽しみです。
やっと求めていた本当の自分に出会うことができました。
佐藤先生をはじめカウンセラーの方々、スタッフの皆さんに、心から感謝申し上げます。ありがとうございました。
両親への恨みと恐怖が愛情と感謝に変わった
最初の2日間集中カリキュラム「時間」を受けて、うつ病がほぼ治りました。
私は両親への恨みや恐怖感がありましたが、それと同時に深い感謝や愛情があることを体感しました。 それに気づいたとき、最初は戸惑いました。同じ人に対して、恨みと感謝という気持ちを、心から持っていることに初めて気づいたからでした。両親からの愛情に気づいたときには、心が落ち着き、感謝の気持ちで泣きました。
初日が終わりホテルへ戻るときには、同じ風景を明るく感じたり、鏡に映った自分が誰かわからないといったことを体験し、自分がよくなっていると感じました。2日目が終わり実家に戻ると、両親と妻から、「明らかに変わった。よくなった」と言われ、私はそれがとても嬉しく感じました。
2回目の2日間集中カリキュラム「次元」では、自分が幼少の頃に感じていた後ろめたさ、罪悪感の原因がわかり、同時にそれがなくなりました。このときに、うつ病は寛解していました。
3回目の2日間集中カリキュラム「解放」で、自分への執着心が自分自身を苦しめていたことに気づきました。
また、心で苦しんでいる人たちを手助けすることが、これから自分のやることだと感じました。今は、このままでいいと感じるようになっています。
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